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旧久喜市内のお寺のご案内

臨済宗 円覚寺派 甘棠院

足利氏ゆかりの古刹

久喜市のほぼ中央、現在の本町、久喜駅から北西に約2キロほどに「永安山 甘棠院」は位置しています。

陽のさんさんと降り注ぐお寺で、山門から一歩境内に入ると白砂が敷き詰められ、正面には明るさを満喫している堂々たる本堂がそびえ左手には開基足利政氏の墓と伝えられる宝篋印塔が建っています。甘棠院の創建は、遠く室町時代にさかのぼります。足利尊氏によって室町幕府が開かれると、古河公方二代をつとめた足利政氏は、古河公方家の内紛により久喜の館に隠居させられてしまいました。隠棲前に仏門に入った政氏は久喜の館に入ると、ここを寺とし「永安山 甘棠院」と称し、自ら開基となり開山には貞巖和尚を据えました。現在、本堂や庫裏は昭和44年からの大改修によって完成したもので、当時の面影を伝えるものは外観からは見当たらず、残された数多くの文化財がその当時を思い起こさせます。
 また、その歴史とは深く関わる訳ではありませんが、甘棠院の裏山にはまだ自然が多く残されており、この30年来ここに鷺が集まり始め、サンクチュアリーを形成し始めています。鷺たちの営巣地としてこれからもそっとしておいてやりたい、また、檀家さんのペットが亡くなった場合「家族と一緒に埋葬してあげたい」と動物への慈愛の深い21世中村周保現住職は考えております。
 
 
 

曹洞宗 天王院

格式守る 禅の心

曹洞禅宗に属し永平寺と総持寺が両大本山の天王院は、久喜駅西口より徒歩8分、市街地に隣接した山門の際の大銀杏が歴史を物語る寺院です。

開創は室町時代までさかのぼります。開山能庵明鑑大和尚は、山梨県甲府市外広厳院の弟子として修行中、関東地区を巡行に訪れた際、久喜の代官(米津出羽守)の帰依をうけ、その陣屋の隣接地に小堂宇を建立したのが始まりです。以来現在で二十八代目の高橋忠人住職が守護し、境内には本尊延命地蔵菩薩や三十三観世音菩薩などもお祀りしてあります。天王様として知られる(八雲神社)は元々天王院の別院とし祭られた天王宮と言われていました。明治初め、神仏分離により祭神は天王院から氏子へ移されたが7月12日〜18日は天王様の祭りで一般的には天王様と言うだけで祭りを意味しています。
 天明三年(1783年)浅間山大噴火により作物が全滅し、米作りの奨励があり宮本家の氏神である祭礼用の山車を借りて町内に引き回し、豊作を祈願したのがお祭りの始まりと伝えられています。特に夜の山車には無数の提灯が揺らぎその華麗さから(提灯祭り)として今でも親しまれています。
 また戦時中はお寺を学校に開放し子供達の学習場としても提供し、時期終戦を向かえた昭和24年より久喜幼稚園を開園し、経験豊な先生のもとで、楽しく・のびのびを目標に子供達の心を充分に理解し、明るい保育を行っています。そんな由緒ある古きよき歴史と伝統をもつ天王院は現在でも格式を守り続けております。
 
 

真言宗 光明寺

久喜市と共に歩む

現在、佐久間秀範住職が守護する光明寺は、久喜駅西口より徒歩10分程の所に位置しています。

光明寺の歴史は、白鳳時代にまでさかのぼります。今よりおよそ1200年ほど前、行基菩薩が日本全国の国分寺を巡拝する道すがらこの地に立ち寄り、所願成就・当病平癒の祈りを込め、人々の救済のために薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来を本尊として光明寺を創建したと伝えられています。
 創建当初よりしばらくは、武蔵国(埼玉・東京地方)で随一と云われる伽藍を誇っていたと伝えられますが、時代と共に変遷を重ね、鎌倉時代には金堂(薬師堂)など数軒を残すのみとなっていました。しかし、その後薬師信仰が盛んとなり、建長四年に中興の祖賢信によって光明寺が再建され、第十三祖隆昌によって隆盛となったと記録されております。江戸時代に入り延宝6年には、鬼門の鎮守に清瀧権現を拝し、人々の氏神、久喜鎮守として千勝明神が祀られました。その後享保18年には客殿(現本堂)が建立されております。
 さらに明治政府の廃仏毀釈の政策の影響で仏教寺院が荒廃する時代に、光明時では寺門興隆に努めました。中でも千葉の成田山まではなかなかお参りできなかった久喜の近隣の人々のために成田山から不動尊の分身を光明寺に招いてお祀りしました。この不動明王の法力で除魔降伏を、本尊の薬師如来の法力で無病息災をしていただき、久喜の地を古来より見守り続けてきました。
 また近代において明治6年、現在の久喜小学校である久喜学校が光明寺にて開かれております。『自分をつくる』という建学の精神のもとに、明るく元気で優しさのある子供達が育つ学び舎となっておりました。
 そして近年、“永代供養墓 涅槃廟”を本堂の側に建立しました。これは「色形あるものは必ず移り変わる(色即是空)」のことば通り、社会構造が大きく変化し、それらに伴う人々の思考も多様化する中で、墓地の取得や維持・継承が難しい方が増えたために、佐久間秀範住職が永代にわたり安心してご供養が受けられる墓所をと考案したものです。
 まさに久喜の歴史と共に歩んできた光明寺。時が経てば時代も変わり人々の心も変わる。しかし創建当初の「人々のため」という光明寺の慈悲の心は変わらず、これからも久喜の地・人々と共にあり続けるでしょう。
 
 
 
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